夏休みも中盤戦の八月に入ったばかりで、さても真夏も真っ盛り。暦の上では来週の頭にも立秋を迎えるものの、実際にはこれからこそが本番で。南神奈川は湘南の渚にて、濃密な青が満ちた大空の真下、金髪金眸の小悪魔坊やがお兄さんたちのお尻を叩いての夏合宿に励んでいる、丁度同じ頃。こちらさんはどちらかと言えば、木々の狭間を渡る風に緑の香を感じての森の中。多少は体感気温も低いらしい、涼しい山間部のロッジのテラスに張りついて、ずっとずっと、少し遠くの一点ばかりを眺めている男の子。真っ白なお帽子にTシャツとサッカー地のブラウスシャツの重ね着。紺色の半ズボンには黒のサスペンダーがついていて、普段は他所に住んでる、どうやら“避暑”に来たお客様である模様。デッキには他にも席があって、ちょっとした軽食なぞを楽しんだり、宿泊者同士のお喋りの場にしたりというスペースであるらしく。
「坊や、桃のジュースのお代わりはどうですか?」
「あ、はいvv いただきますですvv」
時折、管理人のおばさんが、あんまり可愛い子だからと構って下さるのへ、いい子のお返事と“にこぉっ”という愛くるしいお顔をして見せるのだけれども。それ以外はそれはそれは大人しいもの。詰まらないというのではなさそうながら、それじゃあ楽しいのかと言えばそれも微妙な。こんな小さい子には珍しいほどの無心な真顔で、同じ方向、同じ何かを、ずっとずっと見つめてる。
――― あのね、あのね? おねいさん、こんにちはです。
ああ、やっぱり。あなたはもしかして、小早川さんチの瀬那くんではありませんか? 真っ黒な髪はふわふかのくせっ毛で、丸ぁるいおでこに潤みの強い琥珀の瞳。柔らかそうな小鼻に可憐な作りの愛らしい唇という、そりゃあ可愛らしい男の子であり。自然木で作られたお椅子の端から降ろされた細っこい脚は床まで届かず、小さなお靴をはいた足が時々ぶらぶらと揺れている。確かあなたは、東京のちょこっと郊外、ベッドタウンなんて呼ばれてる新興住宅地にお住まいなのに。郊外は郊外でも、こうまで閑静で人里離れたところなんかじゃあなかった筈だし、ましてや…コテージを取り囲む緑の風景のどん突きに、そりゃあ大きな、遠近感を狂わすほどもの大きなお山、もしかして富士山とかいう有名なお山があるような、そんな土地柄じゃあなかったような気が。
――― 此処はあのね? セナのお父さんの会社の、ほよーのしゅくしゃなの。
ほよーのしゅくしゃ………。あ、そかそか、保養用の宿舎ですね? こんなところに持ってらっしゃるとは、結構羽振りのいい会社なようで…って、いやそれはこの際どうでもいんですが。そうですか。こういう手がありましたか。確かセナくんは。ほんの先日に、お友達のひゆ魔くんに誘われての“海辺のでいと”を楽しんだものの、その時のお相手だった大好きな進さんは、いよいよ始まる王城アメフト部の合宿に入るべく、セナくんを家まで送って下さったその足で、此処にある合宿所まで直行なさったということで。一緒にいる時はね? それはそれは気を遣って下さる、とっても優しい進さんだけれど。(ここで小首を傾げる人が多数いることにも、セナくん、すっかり慣れたそうですが。)一旦離れてしまうと、進さんの頭の中はたちまちアメフトで一杯になる。せめてセナも、ひゆ魔くんみたいにアメフトのことが判ってて、たいとえんどがどーの、サイドを使ってのこーげきの時の展開のばりえーしょんがこーの。専門的なお話が出来ればいいのだけれど。ごめんなさいです、カタカナのお名前がいっぱいで覚え切れません。せめてアニメの主人公みたいに、赤青黄色って色分けされてて、真ん中の最初にボールを投げるお兄さんは大鷲の戦士に変身するとか、みんなが疲れて倒れ伏したら、チアのおねいさんがバトンを振って、
『ぴぴるま・ぴぴるま、しゃらんら・こん。あめふとたっちで、げんきりんりん〜☆』
呪文を唱えたら、皆のMPが復活するとか。(………そこの人、モニターの前で突っ伏さないように。書いてる本人が一番に恥ずかしいんだから。///////)そんなだったら良いのにな。そんなだったら、
『そうそう、そこで小春おねいさんがバトンを出してぇvv』
なんてとかって、お話出来るのにね。(う〜んう〜ん) そうこうする内、テラスに出られる広間の方から、ザワザワっていうにぎやかな声がした。
「あー。やっぱりいたvv」
「きゃ〜ん、この子? サッチが言ってた王子様。」
「そうそう。可愛〜いでしょ?」
今日着いたお客様らしいおねいさんたちを連れて、先に来てたおねいさんがセナくんのことを“見に来た”らしいです。この宿舎に来たのは一昨日で、お父さんもお母さんも毎日のように出掛けてます。あ・勿論、セナもね。午前中はお母さんたちと一緒に、あちこちの美術館とか温泉とか、公園とかに連れてってもらってますvv それからあのね? 早い目のご飯を食べて、まだ明るい夕方のしばらくほど。お父さんが外湯の温泉に行っちゃって、お母さんがお友達へのメールに掛かりっ切りになっちゃう間だけ。此処でこうして遠くを見てますの。今日で3日目のこの習慣に、昨日気がついたらしいおねいさんがいて、後から追っかけて来たお友達に話しといたらしいですが、
「わ〜vv ホント、可愛いわ。」
「ね? ね? 何かの子役してるとか?」
「ほら、子供服のモデルとかにサ、出てるよな子なんじゃないの?」
それが犬猫でも飼い主に断らずに触るのはマナー違反なのにね。ちょっと考えてみてよ。あなたが連れてるBFが、若しくは、さっき気に入って買ったばかりの大きな縫いぐるみが、通りすがりの見ず知らずのお姉さんたちに取り囲まれたその揚げ句、勝手にカッコいいの可愛いのと撫で繰り回されて、果たして嬉しいか? 可愛いという言葉はほめ言葉であり、それをわざわざ言ってあげることは、その子への賛美であり貢献であって、絶対に嫌がられる筋合いはないと、信じて疑わないギャルやおばさんたちの どんだけ多いことか。
“ああいうのってどんだけ傍迷惑か、判ってんのかなぁ。”
3人ほどの、恐らくは女子高生とはいえ、小さなセナくんにしてみれば、十分に大人で抵抗しても敵わない相手。どうかしたらばとっても怖いことなんだのにねと、立派なセクハラだよねと溜息を1つついてから、
“………此処で僕が出てくと却って騒ぎになっちゃうかな。”
ちょいと考えたお兄さんだったが、ポンと手を打つとポケットをまさぐって、ゴソゴソゴソ………。
「セナくん、お待たせしました。練習もミーティングも終わったよ。」
他所のおねいさんたちに囲まれて。どうしたものかと大きな瞳をぱちぱちしていたセナくんへ、その囲みのもっと上からお声がかかって。
「あ、」
よかった、天の助けだぞと。そうまで迷惑がられてるってのも凄いことだが、
「…え?」×@
自分たちの背後に立った、誰かのお声。セナくんへの呼びかけだったが、その場にいたおねいさんたちにも聞こえはしたから。何より、自分たちの真後ろだったからね。ひょいと振り返って、あっとお口を丸くした。
「…もしかして、桜庭春人、じゃない?」
「そんな、まさか。」
「でもでも、似てるよ? 背も高いし、髪形だって。」
おでこを寄せ合い、そんな風にご意見の交換。あやや、もしかしてこれって大変? ただのお子様のセナにでさえ、寄ってたかってをするよな人って、アイドルの げいのー人の桜庭さんを見たら逢ったら、もっともっと大騒ぎをするのでは?
“…あやや。”
どうしましょと、見守っていれば、そんなセナくんの手を取って、
「さあ、行こうよ。」
周囲の空気が読めない人じゃあない筈なのに。桜庭さんたら、全然意に介さないって様子でセナくんの手を取って立ち上がらせる。当然というか、手前にいた女の子の一人、ちょっとだけ突いて退けたようなカッコにもなっちゃって。何すんのよ乱暴ねって顔で、桜庭さんの方をまじっと睨み上げたおねいさんだったんだけれども。
「………あ、うそ。〜〜〜〜〜〜っ☆」
何がどうしたのか、いきなり両手で口を押さえると、お顔がにちゃら〜〜〜って歪んで来て。それでそのまま、やっぱりいきなり、失礼にも桜庭さんのお顔を指さし、ぎゃはははは…って大声で笑い出したの。
――― え? え? 何でなんで?
だって大抵はネ、桜庭さんに逢ったおねいさんは、必ず大人しやかな人になっちゃうのに。大きくお口を開けて“ぎゃはははは☆”なんて大笑いした人は、こんな場合以外でもセナくん初めて見たでしたほど。何なに? どうしたの?と、不安になって来かかったところで、
「やだな〜、口の中まで見ないでよねぇ。」
桜庭さんがそうと言い。お声に釣られて見上げたらば。
「あ………☆」
桜庭さんたら、前歯が1本足りないの。………あれれぇ? でもでもそんなの、おかしいです。スナック菓子にハンバーガー、食べ物ではないけれどにっこり笑顔が売りのデジカメや携帯電話に、なんと歯磨きまで。そりゃあ色んなCMに出てて、最後に必ず、綺麗な歯並びで笑って見せるのが桜庭さんです。なのに、何で…前歯ないですか?
「口を開けなきゃ、桜庭くんに似てるでしょ?」
「うんうん、そっくりvv」
「声まで似てるよvv」
それだけに残念ねと、よく判らない慰めのお言葉を頂いて。それじゃあとセナくんの手を取って、その場を離れた桜庭さんで。………でもでも、あれれぇ? それじゃあ、この人は桜庭さんじゃあないのかなぁ?
「………。」
「??? あ、そかそか。」
お手々をつないでテラスデッキから降りつつの道すがら。じぃ〜〜〜っと見上げて来るセナくんの視線に気づいた桜庭さん(?)は、クススと笑うと、上着のポッケから薄い薄いコンパクトを取り出して。ぱかりと開くと、鏡を見ながら、上の前歯に指先を当てる。そこだけ何にもなくって暗かったのが、あらあら不思議。爪の先を引っかけて、上から少しずつちょいちょいと引っ掻くと、何か…ガムか粘土みたいなものが剥がれてくの。
「はい、取れたvv」
「はやや〜〜っ。」
凄い凄いっ! 綺麗な白い歯が出て来ましたっ。
「コントとかの特殊メイクなんかで使うガムの一種なんだよ? ホントになくなってるみたいに見えただろ?」
はいですぅと頷けば、
「あんなお姉さんたちに邪魔されてちゃあ、時間が勿体ないからね。」
ホントだったらファンの人を大事にする桜庭さんなんだけれど。今夜だけは特別と、まだちょっぴり青い方が濃いお空を背景に、にっこり笑ってくれましたの。
――― はい、そうですvv
此処は、進さんたち王城のアメフト部が、すぐ近くの宿舎にて合宿をなさってるところです。練習が終わって、お食事も済んで。まだ始まったばかりだから、ミーティングと言っても明日への連絡事項くらいしかなくって。その後は、唯一、自由に使えるお時間てゆうのが夕方にあってね? その時間になったらば、桜庭さんがセナくんのこと、呼びに来てくれるんです。
「もっと近くまで来て、練習とかも見てればいいのに。」
何ならクラブハウスのテラスとか。練習場はフェンス越しの真横だし、それこそ練習中は誰もいないから、気がねなく座ってていいのにと、桜庭さんは言ってくれるけど。セナくん、お顔をちょこっとだけ俯けて、
「そんなしたら、進さんが“しゅーちゅー”出来ないかも知れないです。」
アメフトの練習中はアメフトのことしか考えてない進さんだっていうのは判ってる。すぐの傍で立ってたって、きっとセナには気がつかないほど、練習に集中する人だってことはよ〜く知ってる。でもね、むつかし言葉で“自惚れて”言うんじゃなくってね、
「もしかして、そんな間にセナがコケたりしたらね。そいで、だけども気がつかなかった進さんだとしたらね。」
「あ、そっか………。」
凄いです、桜庭さん。まだそこまでしか言ってないのに。
「進が後から、こんな近くにいたのに気がつかなかったね、ごめんねって、悔しい思いをするかもしれない、か。」
「はいです。」
ホントはとっても優しい進さん。セナが鬼ごっこの途中でコケちゃったら、セナが泣いちゃう前に進さんの方こそ泣きそうな、心配そうなお顔になる。だからね? 余計なことをしちゃあいけないの。ひゆ魔くんが雨の日は葉柱のお兄さんを呼ばないように、我儘は言って良い時と悪い時があるんだってこと、何か言われた訳じゃなかったけど、ちゃんと教えてもらったから。
「セナくんてホンット、良い子だよねぇ。」
進には勿体ないよなぁなんて。桜庭さんがしみじみと言って、
「…そうだ。進に飽きたら僕に乗り換えなよね?」
そんなとんでもないことを言い、あとで進さんからこづかれたというのは、全くの余談でございますが。
“いくらセナくんが相手だとはいえ、
進に“カマをかける”なんて高等な技を使えようとは。”
◇
よく言って伝統の滲む、随分と古い宿舎だからだろう。宿泊用の部屋は…新築の棟を選べばベッドを据えた洋間だが、グラウンドやシャワー室に食堂などなど、各種の設備に近い方の古い棟を選ぶと、古色蒼然…は言い過ぎながら、今時に畳敷きの和室での寝起きとなる。この夏休みはアメフト部だけが使っているので、どこを選ぶのも自由とされており。洋間の棟の方でだけでも全員が収まらないことはないのだが、畳に布団じゃないとよく眠れないという自己主張をなさる方々も出るので、今年もまた、何人かは旧棟の利用者がおり。言わずと知れた、進さんチの仁王様も旅館風の和室をチョイス。彼の場合は単に自主トレに出て行きやすいからというのが一番の理由らしかったけれど、
――― コンコン、と。
ノックの音がしたのへと。窓の桟に腰掛けてたものが一気に立ち上がろうとして、はっとして中腰で動作を止める。この何日かの毎日、同じことを繰り返していたからで、
「進〜〜〜? 今日もまた、窓枠で頭ぶつけてんじゃないの?」
返事も待たずに、上がり框の先の襖をとっとと開いた桜庭は、妙な恰好でフリーズしているチームメイトの姿が窓辺で逆シルエットになっているのを発見し、慌てて自分の口を自分で覆ったそうである。
“3日目にして、やっと学習したか。”
そう。この3日というもの、セナくんを桜庭さんがエスコートして来るそのたびに。必ず同じ窓に腰掛けて待っているがため、昨日も一昨日も、いきなり立ち上がったその結果として、上の桟で頭をぶつけていたらしい。そわそわする気持ちを持て余しての考えなしの行動と、ドキィッと跳ね上がる心臓に体が素直に従っての懲りない反射。この、何にも動じない、数日前の結構揺れた地震にも泰然としていたほどの“お不動様”が、唯一こうまで動揺するのが、この小さな小さなセナくんを相手にする時で。
“恋って凄いよ、うんうんvv”
それじゃあ、8時になったら送ってくんだよ? それまでごゆっくりねと。桜庭さんのお役目は此処まで。これもやはり、いつものこととて。明かりのスイッチを入れてから、上がってすぐのところへチョコリと正座のセナくんの、小さな背中を微笑ましげに見やりつつ、そぉっとドアを閉めての退出。それからも、実を言えばいつもとあんまり変わりがなくって。
「……………。」
「……………。」
窓からはさすがに離れてから、その場にそのまま正座してる進さんと、何だか妙な“お見合い”状態。こういうところも“性懲りのない”人たちだけれど、それでもね?
「セナ。」
セナくんの大好きな良いお声で呼ばれると。名前を呼ばれただけなのに、あのね? おいでって意味だって判るから。ぱたた…って、お行儀は悪かったけどワンコみたいな四ツ這いで、すぐ傍まで駆け寄るの。進さんは大きいから、すぐ傍に寄れば寄るほど、後ろへコテンってしちゃいそうになるんだけども。でもでも、進さんのお顔と同じほど、温ったかいお胸も大好きだから。ずぅっと待ってたから、それもあってのこと。勢い余ってお膝によじよじって登っちゃったvv だってネだってネ、これもひゆ魔くんがいつもしてること。葉柱のお兄さんのお膝、いっつもよじよじって登ってる。ぽふりとお胸へ凭れたら、少し待ってから進さんの大きなお手々が頭の後ろに添えられて、ゆっくりと撫で撫でしてくりるの〜〜〜〜vv o(><)o////////
――― あのねあのね、進さん、あのね?
おとーさんが、もう少しほど居ても良いよって。
おとーさんはお仕事があるから明日の朝にも帰るけど、
おかーさんと二人で、今週末まで此処に居ても良いよって。
温ったかいお胸へぎゅむってお顔をくっつけて、小鳥の囀りみたいに愛らしいお声でそんなお話をするセナくんには、間近すぎる進さんのお顔、ここからじゃ見ることは出来ないのだけれど。もしも見えていたならば、もっとずっと“とろろん”ってなって、惚れ直してしまうかもしれません。だってね? だってね? いつもはそりゃあ厳しく冴えてばかりの、男臭い精悍なお顔が。打って変わって、やさしく和んで落ち着き払ってて。セナくんの言ってること、ちゃんと聞いているのかなぁって思うほど、そりゃあ静かに黙ったまんまで。
“…セナくんに、あれって通じてるんだろか。”
あららら、こらこら桜庭さんたら。いくら橋渡しへの骨折りをしてるからっても、盗み聞きなんていけませんですよう。(苦笑) こちらさんはこちらさんで、やっぱりほわほわ、仲の良いお二人なおご様子で。秋の大会に向けての練習に、いい形で効果が出ると良いですねvv
〜Fine〜 05.8.21.〜8.22.
*進さんて、ホント、
寡欲というのか、若しくは不器用というのか、
強くなることへまっしぐらしているばかりで、
誰かと競うという観念はない人だったと思うのですよ。
既にあれほど強かったのに、
「こんな惰弱な手では何物も掴めない」とか何とか言ってたほどに。
それがセナくんとの初顔合わせの場で、
「クリスマスボウルへ行くのは王城だ」ですものね。
有名どころの選手たちへは一応、
相手校の駒としての分析把握くらいはしてたでしょうが、
しっかりと意識した相手というのは、
セナくんが初めてだったんじゃないのかなと思います。
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